山内家の歴史について、知っていると展示を見るときに役立つ豆知識をご紹介します。
山内家の家紋
 山内家には複数の家紋が存在します。明治44(1911)年に編纂が開始された『山内家史料』の編纂主任となった沼田頼輔(1867〜1934)は、山内家に複数の家紋があることを知って家紋の研究を始め、後に大著『日本紋章学』を出版しました。
■丸三葉柏紋(まるにみつばかしわもん)

山内家の本紋。山内氏を示す意味を持つ家紋で、鎌倉時代の初めには全国に分居していた山内氏が使用していました。
土佐山内家の家伝によれば、藩祖一豊の父盛豊が、丹波の戦で柏木を指物として武功を挙げて以来、家紋となったと伝わっています。

■白一黒一紋(しろいちくろいちもん)

山内家の家紋の中ではもっとも古い家紋。
山内家が首藤流藤原氏の出自であることを示す意味があり、山内家以外でも、首藤流藤原氏に由緒を持つ諸家が同様の家紋を用いています。「一」の字音は「カツ」であり、武家の尚武に通じるともいわれています。山内家では本紋の丸三葉柏紋よりも重視されました。

■花桐紋(はなきりもん)

豊臣秀吉は朝廷から下賜された桐紋を自家の紋とし、豊臣姓とともに配下の諸大名に桐紋を下賜しました。
一豊も豊臣姓をうけており、この桐紋も秀吉から下賜されたと言われていますが、詳しい事実関係はわかりません。

■立波紋(たつなみもん)

元来は家臣前野氏の家紋。
力強く浜を打ち、即座に引く波の動きを戦の心得と重ね合わせ、一豊が前野氏から譲り受けたという伝承があります。

■鉈紋(なたもん)

一豊が若い頃仕えていた、織田信長の家臣山岡家の家紋。
家禄200石とともに、鉈紋を与えられたと伝えられています。山内家歴代藩主の陣羽織にこの紋が散見されます。

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官位制度について
 一般に「官位」というと、朝廷内で定められた官吏(官員・役人)の等級(位階)と職務(官職)のことを言います。古代律令制度によって定められ、皇族や公家などが位に応じた役職に就くしくみのことですが、江戸時代には、朝廷の定める官位とは別に幕府が定めた「武家官位」の制度がありました。
 
 「武家官位」は徳川幕府が朝廷の官位制度とは別に、独自に定めたもので、大名や旗本を序列化するために用いたものです。
 将軍家を従一位(じゅいちい)、御三家(尾張・水戸・紀州徳川家)・御三卿(清水・田安・一橋)を従二位(じゅにい)とし、三位(さんみ)以下の位を加賀前田家以下の大大名や国持大名、松平家に与え、従五位下(じゅごいげ)までの間に大名を序列化しました。
 
 また位階を与えると同時に「土佐守(とさのかみ)」「兵部大輔(ひょうぶたいふ)」などの官職名を名乗ることを許しましたが、この官職名に実質はなく、領地とは全く違う場所の国主名を名乗ったり、同時期に重複した官職名を名乗る場合も存在しました。
 土佐藩主山内家も、土佐守以外に対馬守や筑後守、民部大輔(みんぶたいふ)の官職名を用いています。
 本来の官位には定員がありますが、武家官位にはこの規則はあてはまりません。
 
 また、武家官位も公家の官位と同じく朝廷から与えられるものでしたが、将軍の許可なしに直接朝廷から受けることはできないものでした。こうすることで、徳川将軍家を頂点とした秩序を乱すことができなくなります。
武家官位とは、朝廷の権威を借りて、将軍や徳川家一門を他大名より上位に位置づけるために用いられた秩序大系なのです。
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松平姓について
 徳川氏はもともと松平氏を名乗っていました。そこで、特に功績があった者や、反対に懐柔しておかないと不安な者などに「松平」を名乗ることを許して、徳川氏と一族であるという建前を作りました。
「松平之御称号」といわれ、山内氏も慶長15(1610)年3月朔日付けで、二代藩主忠義が徳川秀忠からこの称号をもらっています。これ以来明治維新まで、山内家では直系の当主と次期当主は、「山内」をなのらず「松平」を称しました。
 
 松平の称号使用は、明治元(1868)年に維新政府によって禁止されました。
 この称号の許可制度は、大名と家臣の間でも用いられ、土佐藩ではたとえば窪川に領地をもらった家老林家は、一豊から「山内之御称号」を許可され、林家の当主は山内を名乗りました。
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